崩壊しつつある日本経済を支える特効薬として、にわかに注目を集めているのがMMTという経済理論です。
ところがMMTは経済理論だけに理解しにくい面があり、誤解を招いたり、その誤解から否定的にとらえてしまったりする方が、残念ながら絶えません。
そこでこの記事では、MMTにおいて特に誤解されやすい点を中心に、Q&A形式でできるだけわかりやすくMMTについてまとめ、解説させて頂きます。
皆様のMMTに対する理解深化の一助になれば幸いです。
国債は国民が預けた預金で買うのだから「国債=国民」の借金では?
いいえ。
国債は国民が実際に預けた預金から、購入されているものではありません。
やり取りが少し複雑なのであえて簡略化して説明しますが、国債の原資となるお金は日銀の当座預金であり、その原資と交換されるのは信用創造を通じて銀行が作る(創造する)お金です。
つまり、日銀の当座預金と銀行の間でお金がぐるぐる回っているだけ(端的に言えば債権と債務の「記録」が繰り返されるだけ)で、そこに国民の預金は介在しません。
さらに言えば、国債発行を通じて得た資金を政府が国民へ使えば、そのお金は借金になるどころか国民の「資産」となります。
■信用創造って何?
さて、ここで大事になるのが「信用創造」とは何かです。
そもそも銀行は集めた預金で、企業や個人へ融資を行っているのではありません。
貸し出し相手の信頼性に応じて、必要な融資額を口座の帳簿に記帳することで作り出しているだけです。
これが信用創造です。
例えばある銀行が集めた預金が100億円だったとし、トヨタ自動車のような信頼性の高い企業から200億円の融資依頼があったとします。
預金の範囲なら100億円しか貸せませんが、数字を口座に記帳するだけで良いのですから差額の100億円も特に用意することなく、融資が行える訳です。
極論ですが、銀行はその気になればいくらでも信用創造を通じ資金を供給できます。
(ただし、当然ですが融資した資金をちゃんと返済してもらわないと、銀行の経営はおかしくなります。
つまり個々の取引でみた場合、融資相手にいくらまでなら貸せるかが「信用創造できる資金の上限」となりますね。)
銀行が国債を買うということは、要は信用創造を通じて資金を供給する相手が民間企業や個人相手なのか、それとも国が相手なのかという違いだけなのです。
国民の預金を超えて国債を発行したら、国債の買い手がいなくなり、国が破綻するという話はウソか?
はい、ウソです。
先ほど説明したとおり、融資の原資は信用創造を通じて生まれます。
国民の預金の範囲という限界など、存在していないんですね。
そもそもですが・・・信用創造って、MMTが語られるようになってから登場した仕組みではありません。
銀行の融資の仕組みとして、永々と取り組まれてきたものです。
もし信用創造という仕組み自体が根本的な欠陥を抱えていたなら、国債に限らず、預金額を超えて企業や個人に融資を行っている時点で、全ての銀行がとっくに破綻していたはずです。
企業や個人への融資は預金額を超えてよく、信頼性が極めて高い国への融資は預金額を超えてはいけない・・・それっておかしな話だと思いませんか。
こう考えて頂ければ、国民の預金を超えると国債の買い手がいなくなるといった理屈がいかにバカげているか、おわかり頂けると思います。
信用創造によって無限にお金を作り出して良いのか?
この点が、おそらくMMTT否定派の根拠となり、MMTがどうもよくわからないという方々の最大の疑問点でもあったかと思われます。
まずMMTは、無限に貨幣を信用創造してよいとは何ら主張していません。
MMT=無限財政論と誤解されている方がいて驚きましたが、MMTでは信用も貨幣供給量も「有限」が大前提です。
国民がお金持ちになることでどんどん物を買い、インフレ、即ち供給能力を超えて物が売れる加熱状態になると経済は悪化します。
そこで「増税」によって国が市中の通貨を回収することで、通貨の供給量を抑制する必要があるとちゃんと説明しています。
要は日本の経済的供給能力に応じて、発行通貨量を調整しましょうという、実に合理的な理論なんです。
じゃあ、いくらぐらいまでお金を刷ることができるのか?
限度があるとして、ではその限度の目安はいくらかと言うと・・・
経済実態を把握することが前提ですので、限度額の算出はさすがに難しいですが、安倍政権になってからすでに400兆円以上の国債を発行しているのにインフレになるどころか、日本はデフレで低迷したままです。
また、今の日本はGDPが25%も落ち込み、肥満体質どころか深刻な栄養不足の状態に陥っている状況です。
仮に100兆円程度刷ったところで、今の日本なら経済が加熱するとは到底考えられません。
あくまで個人的な推論ですが、150兆円程度なら刷っても大丈夫だと考えています。
国債は金利を上げないと、民間である銀行は国債を購入しなくなるのではないか?
これもMMT否定派が用いる反論ですね。
じゃあ、今国債の金利はいくらでしょうか。
わずか0.05%です。
2019年にはマイナス金利となっていました。
もう一度繰り返しますが、安倍政権になってからすでに400兆円もの国債を発行しているのに、金利はスズメの涙状態です。
ではマイナス金利でも銀行が国債を引き受ける理由ですが、マイナスであっても稼げる手段やメリットがあるからです。
■理由1:マーケットの存在
その一つが債券市場で、国債もいわば株式のようにマーケットで取引されています。
そこには将来を見据えて、国債を集めておこうと考える投資家もいる訳ですね。
そうなると、マーケットでの取引価格が発生し、仮にわずかな変動幅でも額が大きければ数十億ぐらいの利ざやを稼げる可能性も十分あります。
■理由2:債権でありながら流動性が高い
10年ものの長期国債であっても、特に銀行の場合は日銀に買い取ってもらうことで速やかに現金化もできます。
実は銀行にとって国債は、債権でありながら現金のようなものなのです。
その上、この場面においても日銀から少し有利な価格で買い取ってもらえる可能性がありますから、稼げるチャンスにもなります。
ところで少し脱線しますが、さきほど現金化と表現しましたが、例えば1万円札というのは日銀が発行している1万円分の小切手、即ち債権証書と基本的に同じなのです。
ここらの話は長くなってしまいますので詳述しませんが、貨幣についてもう少し詳しく学びたいという方は、三橋貴明氏の「【三橋貴明】本当のおカネの話」がとてもわかりやすいので、こちらを参考になさってください。
理由3:民間企業と国、銀行経営者ならどちらに貸しますか?
3番めの理由が最もわかりやすいと思いますが、国債の購入は、いわば日本政府という最高の信頼性が担保された相手にお金を貸し付ける行為と同じ意味です。
皆様が銀行経営者であれば、融資先相手が国である場合と、あまり知らない民間企業の場合、どちらが安心だと考えるでしょうか。
リスクをとってベンチャー企業に融資すればハイリターンが望める・・という場合も確かにあるでしょう。
一方、国に貸しても、今の金利状況ではそれほど大儲けできません。
しかし、株式投資同様ハイリターンだけを狙って信頼性の低い相手ばかりに融資していると、銀行経営自体がギャンブルとなり、危うくなりますよね。
また、銀行業は信用が何より重視されますから、取引相手が信頼性が低い融資先ばかりとなれば、対外的信用も損なわれることになります。
日本で最も信頼性の高い商売相手は国です。
リターンは少なくとも、場合によっては少々損が生じる場面があっても、銀行の信頼性を保つ上でこれほどメリットのある相手と銀行が取引をやめるはずはありません。
なぜ財務省は緊縮財政を続けるのか?
緊縮財政→増税の流れが本格化したのは1990年代で、これにより、建設業界を中心とした急激な市場の冷え込みを招き、10万人を超える自殺者と長期に渡る経済不況を招くことになりました。
これが一時的な政策判断のミスであれば、国民への給付金をひとり10万円に変更した事例のように、軌道修正もできたでしょう。
ところが90年代からずっと財務省は財政危機とプライマリーバランスの重要性を訴え続けてきたので、今更財政破綻論が嘘でした、あるいは欠陥理論でしたとなれば、納税者からとてつもない怒りを招き、著しい政治・行政不振を招きかねません。
簡単に言えば、プライドだけはやたら高い省庁なので引っ込みがつかなくなったと言えます。
あと、財政均衡論が天動説、MMTは地動説と比喩されることがありますが、官僚は学生の頃からずっと天動説が正しいと教育を受けてきた訳です。
正しい情報として、財務省のミッションとして長期間刷り込まれてきたのですから、外部の人間が「天動説は間違っている」と言っても、聞く耳を持てないのは当然かも知れません。
MMTには課題や問題点はないのか?
あります。
すでに回答したとおり、インフレになってもお金を供給したら経済がおかしくなってしまいますので、物価上昇を適切に評価し、タイムリーに増税する必要があることです。
理論的には簡単ですが、実際、インフレになったので増税しますとなると国民の反発を招く可能性があり、容易に増税しにくいことが考えられます。
これをスムーズに行うには、国民にMMTを広く浸透させ、増税と減税が繰り返されることへの理解とコンセンサスを得る必要があります。
国債を何十兆円も発行して国民に資金を与えると、国民が怠惰になるのでは?
この質問もMMT反対者がよく口にする内容です。
資金をじゃぶじゃぶ与えると勤労意欲を失い、怠け者になって、やがて経済がダメになるという理屈です。
しかし、その理屈は正しいでしょうか。
日本国民とは世界的にみても稀な、大変勤勉な民族です。
ではなぜ勤勉なのか。
働く理由が純粋にお金だけなら、MMT否定論者の言うとおり、たいして働かなくともお金が得られるとなった場合にきっと怠惰になるでしょう。
しかし、皆さん自身がそうだと思いますが、お金だけで仕事を頑張っている訳ではないはずです。
自分の仕事に対し、お客様や仕事仲間など多くの人々から喜ばれ、感謝された場合、どんな気持ちになりますか?
難しい仕事をやり遂げた時の達成感や爽快感は、たいへん大きな快感ではありませんか?
こうした仕事の結果に対する快感や喜びは、万国共通のようで、実はそうではありません。
どことはあえて申しませんが、他人はどうでも良い、仕事の結果は気にしない、お金さえ稼げればそれで良いと考える国民が多い国もあります。
つまり日本人は、お金だけでなく、否、お金以上に仕事の達成感や他者や社会への貢献度にも大変こだわり、異常なまでの喜びを感じる例外的な人類と言って良いです。
この特有な民族性こそが、多数のノーベル賞につながる世界的な発明につながったり、世界が真似できない革新的な技術や商品、サービスを実現したり、それが結果として、MMTという危なっかしく見える理論を実社会で実現化している大きな原動力と言えるのです。
この民族性がある限り、100兆やそこらの資金を信用創造したからと言って、途端に供給能力が麻痺してしまうことなどあり得ません。
また、この民族性の違いこそが国債に頼りすぎて破綻したギリシャや、紙幣を刷りまくってハイパーインフレとなっているベネズエラとの違いでもあります。
自国建てで通貨発行し、それを国内で回している限り破綻しない・・・
これがMMTの主張ですが、この原理を成り立たせるには、実は日本人のような特殊な民族性も不可欠だったと言えます。
逆に言えば、この例外的な民族性がもし喪失してしまえば、MMTは成り立たなくなります。
私は、もはやDNAとなったと言っても良い日本人の仕事に対する民族性は、そう簡単に失われるようなものではないと確信しています。
コンサルタントの視点
MMTの疑問・総まとめ
崩壊しつつある日本経済を支える特効薬として、にわかに注目を集めているのがMMTという経済理論です。
ところがMMTは経済理論だけに理解しにくい面があり、誤解を招いたり、その誤解から否定的にとらえてしまったりする方が、残念ながら絶えません。
そこでこの記事では、MMTにおいて特に誤解されやすい点を中心に、Q&A形式でできるだけわかりやすくMMTについてまとめ、解説させて頂きます。
皆様のMMTに対する理解深化の一助になれば幸いです。
目 次
国債は国民が預けた預金で買うのだから「国債=国民」の借金では?
いいえ。
国債は国民が実際に預けた預金から、購入されているものではありません。
やり取りが少し複雑なのであえて簡略化して説明しますが、国債の原資となるお金は日銀の当座預金であり、その原資と交換されるのは信用創造を通じて銀行が作る(創造する)お金です。
つまり、日銀の当座預金と銀行の間でお金がぐるぐる回っているだけ(端的に言えば債権と債務の「記録」が繰り返されるだけ)で、そこに国民の預金は介在しません。
さらに言えば、国債発行を通じて得た資金を政府が国民へ使えば、そのお金は借金になるどころか国民の「資産」となります。
■信用創造って何?
さて、ここで大事になるのが「信用創造」とは何かです。
そもそも銀行は集めた預金で、企業や個人へ融資を行っているのではありません。
貸し出し相手の信頼性に応じて、必要な融資額を口座の帳簿に記帳することで作り出しているだけです。
これが信用創造です。
例えばある銀行が集めた預金が100億円だったとし、トヨタ自動車のような信頼性の高い企業から200億円の融資依頼があったとします。
預金の範囲なら100億円しか貸せませんが、数字を口座に記帳するだけで良いのですから差額の100億円も特に用意することなく、融資が行える訳です。
極論ですが、銀行はその気になればいくらでも信用創造を通じ資金を供給できます。
(ただし、当然ですが融資した資金をちゃんと返済してもらわないと、銀行の経営はおかしくなります。
つまり個々の取引でみた場合、融資相手にいくらまでなら貸せるかが「信用創造できる資金の上限」となりますね。)
銀行が国債を買うということは、要は信用創造を通じて資金を供給する相手が民間企業や個人相手なのか、それとも国が相手なのかという違いだけなのです。
国民の預金を超えて国債を発行したら、国債の買い手がいなくなり、国が破綻するという話はウソか?
はい、ウソです。
先ほど説明したとおり、融資の原資は信用創造を通じて生まれます。
国民の預金の範囲という限界など、存在していないんですね。
そもそもですが・・・信用創造って、MMTが語られるようになってから登場した仕組みではありません。
銀行の融資の仕組みとして、永々と取り組まれてきたものです。
もし信用創造という仕組み自体が根本的な欠陥を抱えていたなら、国債に限らず、預金額を超えて企業や個人に融資を行っている時点で、全ての銀行がとっくに破綻していたはずです。
企業や個人への融資は預金額を超えてよく、信頼性が極めて高い国への融資は預金額を超えてはいけない・・・それっておかしな話だと思いませんか。
こう考えて頂ければ、国民の預金を超えると国債の買い手がいなくなるといった理屈がいかにバカげているか、おわかり頂けると思います。
信用創造によって無限にお金を作り出して良いのか?
この点が、おそらくMMTT否定派の根拠となり、MMTがどうもよくわからないという方々の最大の疑問点でもあったかと思われます。
まずMMTは、無限に貨幣を信用創造してよいとは何ら主張していません。
MMT=無限財政論と誤解されている方がいて驚きましたが、MMTでは信用も貨幣供給量も「有限」が大前提です。
国民がお金持ちになることでどんどん物を買い、インフレ、即ち供給能力を超えて物が売れる加熱状態になると経済は悪化します。
そこで「増税」によって国が市中の通貨を回収することで、通貨の供給量を抑制する必要があるとちゃんと説明しています。
要は日本の経済的供給能力に応じて、発行通貨量を調整しましょうという、実に合理的な理論なんです。
じゃあ、いくらぐらいまでお金を刷ることができるのか?
限度があるとして、ではその限度の目安はいくらかと言うと・・・
経済実態を把握することが前提ですので、限度額の算出はさすがに難しいですが、安倍政権になってからすでに400兆円以上の国債を発行しているのにインフレになるどころか、日本はデフレで低迷したままです。
また、今の日本はGDPが25%も落ち込み、肥満体質どころか深刻な栄養不足の状態に陥っている状況です。
仮に100兆円程度刷ったところで、今の日本なら経済が加熱するとは到底考えられません。
あくまで個人的な推論ですが、150兆円程度なら刷っても大丈夫だと考えています。
国債は金利を上げないと、民間である銀行は国債を購入しなくなるのではないか?
これもMMT否定派が用いる反論ですね。
じゃあ、今国債の金利はいくらでしょうか。
わずか0.05%です。
2019年にはマイナス金利となっていました。
もう一度繰り返しますが、安倍政権になってからすでに400兆円もの国債を発行しているのに、金利はスズメの涙状態です。
ではマイナス金利でも銀行が国債を引き受ける理由ですが、マイナスであっても稼げる手段やメリットがあるからです。
■理由1:マーケットの存在
その一つが債券市場で、国債もいわば株式のようにマーケットで取引されています。
そこには将来を見据えて、国債を集めておこうと考える投資家もいる訳ですね。
そうなると、マーケットでの取引価格が発生し、仮にわずかな変動幅でも額が大きければ数十億ぐらいの利ざやを稼げる可能性も十分あります。
■理由2:債権でありながら流動性が高い
10年ものの長期国債であっても、特に銀行の場合は日銀に買い取ってもらうことで速やかに現金化もできます。
実は銀行にとって国債は、債権でありながら現金のようなものなのです。
その上、この場面においても日銀から少し有利な価格で買い取ってもらえる可能性がありますから、稼げるチャンスにもなります。
ところで少し脱線しますが、さきほど現金化と表現しましたが、例えば1万円札というのは日銀が発行している1万円分の小切手、即ち債権証書と基本的に同じなのです。
ここらの話は長くなってしまいますので詳述しませんが、貨幣についてもう少し詳しく学びたいという方は、三橋貴明氏の「【三橋貴明】本当のおカネの話」がとてもわかりやすいので、こちらを参考になさってください。
理由3:民間企業と国、銀行経営者ならどちらに貸しますか?
3番めの理由が最もわかりやすいと思いますが、国債の購入は、いわば日本政府という最高の信頼性が担保された相手にお金を貸し付ける行為と同じ意味です。
皆様が銀行経営者であれば、融資先相手が国である場合と、あまり知らない民間企業の場合、どちらが安心だと考えるでしょうか。
リスクをとってベンチャー企業に融資すればハイリターンが望める・・という場合も確かにあるでしょう。
一方、国に貸しても、今の金利状況ではそれほど大儲けできません。
しかし、株式投資同様ハイリターンだけを狙って信頼性の低い相手ばかりに融資していると、銀行経営自体がギャンブルとなり、危うくなりますよね。
また、銀行業は信用が何より重視されますから、取引相手が信頼性が低い融資先ばかりとなれば、対外的信用も損なわれることになります。
日本で最も信頼性の高い商売相手は国です。
リターンは少なくとも、場合によっては少々損が生じる場面があっても、銀行の信頼性を保つ上でこれほどメリットのある相手と銀行が取引をやめるはずはありません。
なぜ財務省は緊縮財政を続けるのか?
緊縮財政→増税の流れが本格化したのは1990年代で、これにより、建設業界を中心とした急激な市場の冷え込みを招き、10万人を超える自殺者と長期に渡る経済不況を招くことになりました。
これが一時的な政策判断のミスであれば、国民への給付金をひとり10万円に変更した事例のように、軌道修正もできたでしょう。
ところが90年代からずっと財務省は財政危機とプライマリーバランスの重要性を訴え続けてきたので、今更財政破綻論が嘘でした、あるいは欠陥理論でしたとなれば、納税者からとてつもない怒りを招き、著しい政治・行政不振を招きかねません。
簡単に言えば、プライドだけはやたら高い省庁なので引っ込みがつかなくなったと言えます。
あと、財政均衡論が天動説、MMTは地動説と比喩されることがありますが、官僚は学生の頃からずっと天動説が正しいと教育を受けてきた訳です。
正しい情報として、財務省のミッションとして長期間刷り込まれてきたのですから、外部の人間が「天動説は間違っている」と言っても、聞く耳を持てないのは当然かも知れません。
MMTには課題や問題点はないのか?
あります。
すでに回答したとおり、インフレになってもお金を供給したら経済がおかしくなってしまいますので、物価上昇を適切に評価し、タイムリーに増税する必要があることです。
理論的には簡単ですが、実際、インフレになったので増税しますとなると国民の反発を招く可能性があり、容易に増税しにくいことが考えられます。
これをスムーズに行うには、国民にMMTを広く浸透させ、増税と減税が繰り返されることへの理解とコンセンサスを得る必要があります。
国債を何十兆円も発行して国民に資金を与えると、国民が怠惰になるのでは?
この質問もMMT反対者がよく口にする内容です。
資金をじゃぶじゃぶ与えると勤労意欲を失い、怠け者になって、やがて経済がダメになるという理屈です。
しかし、その理屈は正しいでしょうか。
日本国民とは世界的にみても稀な、大変勤勉な民族です。
ではなぜ勤勉なのか。
働く理由が純粋にお金だけなら、MMT否定論者の言うとおり、たいして働かなくともお金が得られるとなった場合にきっと怠惰になるでしょう。
しかし、皆さん自身がそうだと思いますが、お金だけで仕事を頑張っている訳ではないはずです。
自分の仕事に対し、お客様や仕事仲間など多くの人々から喜ばれ、感謝された場合、どんな気持ちになりますか?
難しい仕事をやり遂げた時の達成感や爽快感は、たいへん大きな快感ではありませんか?
こうした仕事の結果に対する快感や喜びは、万国共通のようで、実はそうではありません。
どことはあえて申しませんが、他人はどうでも良い、仕事の結果は気にしない、お金さえ稼げればそれで良いと考える国民が多い国もあります。
つまり日本人は、お金だけでなく、否、お金以上に仕事の達成感や他者や社会への貢献度にも大変こだわり、異常なまでの喜びを感じる例外的な人類と言って良いです。
この特有な民族性こそが、多数のノーベル賞につながる世界的な発明につながったり、世界が真似できない革新的な技術や商品、サービスを実現したり、それが結果として、MMTという危なっかしく見える理論を実社会で実現化している大きな原動力と言えるのです。
この民族性がある限り、100兆やそこらの資金を信用創造したからと言って、途端に供給能力が麻痺してしまうことなどあり得ません。
また、この民族性の違いこそが国債に頼りすぎて破綻したギリシャや、紙幣を刷りまくってハイパーインフレとなっているベネズエラとの違いでもあります。
自国建てで通貨発行し、それを国内で回している限り破綻しない・・・
これがMMTの主張ですが、この原理を成り立たせるには、実は日本人のような特殊な民族性も不可欠だったと言えます。
逆に言えば、この例外的な民族性がもし喪失してしまえば、MMTは成り立たなくなります。
私は、もはやDNAとなったと言っても良い日本人の仕事に対する民族性は、そう簡単に失われるようなものではないと確信しています。
-コンサルタントの視点
-MMT 疑問 まとめ
執筆者:フランチャイズという選択
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